2014年5月7日水曜日

残業代ゼロ

残業代をゼロにするって議論があるみたい。

そもそも、残業代がなぜあるのか?
それは契約時間を超過して人を使うから、その対価。

仮に残業代がかからなければ、
極論だが労働者は無限動力みたいに延々と働かされる可能性がある。
そんなことしていると業績も怪しくなってくる。
人件費が増えないから利益が増えているだけで、経営の成果もわからなくなる。
残業代っていう制度は経営者側、労働者側の妥協の産物、もしくは英知かな。

ただし、経営者からしてみると、
こいつには残業代払っても良いけど、
あいつには残業代払いたくないとかあるんだろうな。
だけど、一律残業代は払わないといけない。
仕事が遅い人間ほど給料が良いなんて逆転現象になってしまうこともある。
昔は生活残業とかあったみたいだし。

それぞれの立場があるけど、
やっぱり残業代は出した方が良いと思う。
そうしないと正しい原価が算出できないし、
利益も誰かの無償の協力(サービス残業とか)でたまたま出ただけかもしれない。
だけど、経営者側からすると仕事が遅い人には出したくないというのも心情。

じゃあ、どうすればよいかっていうと
残業代はそのままの制度にしといて、
解雇の条件をもう少し緩くすれば良いんじゃないかと思う。
いまの正社員は法律でがっつり守られているから
さぼっていて結果として残業代稼いでいても解雇できない。
だから、その場合は解雇できる様にすれば解決。
残業代も払わなくてよい。
ちゃんと働いていて、やむなく残業する人にはちゃんと残業代を払う。

これが一番いいと思うんだけど、解雇というとよけい批判が出るんだろうな。

結果が全て?

「過程は関係なくて結果が全てだ。」
ってことをテレビとかで時々聞く。
社会に出るとプロの世界だから当然だと思うが、
正しくは、「結果は過程についてくる。」だと思う。

仕事していると、
このやり方じゃあ失敗するだろうなあ、
と思うプロジェクトは案の定、全てトラブルが起こっている。
逆に
このやり方だったら問題ないだろうなあ、
と思うプロジェクトは実際に問題なく終了する、すなわち成功する。
成功するというより
「失敗する方法を選択しないから結果として問題なく終了する」
が正しいな。

マキャベッリも言っている。
「天国に行きたければ、地獄に行く道を知りなさい。」
言い換えると
「成功したければ(失敗したくなければ)、失敗する方法を知ってそれ以外の方法(失敗しない方法)を選択しなさい。」
ってこと。

結果も大事だけど、もっと大事なのは過程。
結果は過程の鏡。結果なんて勝手についてくるもの。

2014年5月2日金曜日

期待し過ぎ

ちょっと前に
教師が我が子の入学式に出席するために、
勤める学校の入学式を欠席したってニュースがあった。
そらそうかも。って思う。
教師でも人の親だし一生に一度の我が子の入学式には出席したいのは親心。
昔みたいに仕事第一じゃなくて、プライベートも尊重される世の中だし。
それに、いまどき担任が入学式にいないくらいで落ち込む殊勝な生徒もいないだろう。
そもそも、教師や学校に期待し過ぎじゃないか。
子供の将来を決めるのは教師や学校じゃなくて親。
恩師と出会って人生が変わったって人は話には聞くけど、
実際には少ないんじゃないかな。

不勉強な親ほど、教師や学校への期待度というか依存度が高いと思う。
まあ、それもわかる。自分は学がないからせめて教師や学校に期待する。
それも親心。昔はたしかに教師といえば聖職って感もあった。
だけど実際は仕事として勉強教えるだけで、
自分を犠牲にしてまで生徒を育てるって人はいない。
それは親の仕事。

ジェフリーアーチャーの「十二の意外な結末」という本の
「ア・ラ・カルト」という話に以下の会話がある。
有名なシェフとして成功した主人公とボーイとの会話。
ボーイがシェフに尋ねる。
「お父さんは引退する前はなにをなさっていたんです?銀行家、弁護士、それとも学校の先生ですか?」
「いやいや、そんなんじゃないよ。おやじは自動車にタイヤをとりつける仕事を、引退するまでずっと続けていたのさ」
「しかし、なぜそんなつまらない仕事で一生を無駄にしたんですかね?」
「それは、運が悪くてわたしのおやじみたいな父親に恵まれなかったからだよ。」

この会話がすべてを物語っていると思う。

そういえば、赤ちゃんの取り違え事件もあったな。
60年後ぐらいに発覚したやつ。
一方は大学まで進学して、他方は中学卒業で就職。
本来は、逆になるはずだった。
教師や学校なんて全く関係なく、違いは親の財力だけ。

教師や学校には期待するな。とは言わないけど、期待し過ぎないように。
一番大事なのは親。

2014年4月9日水曜日

日本一の有名人

言わずと知れた、小保方さんのこと。
記者会見も異例の取り扱い。
なんだか女の子の涙声を聞いちゃうと
かわいそうになっちゃうな。

そんなことはどうでも良いんだけど、
一番重要なことは、論文の不正とかねつ造とかじゃなくて

STAP細胞は存在するのかどうか。

これだけ。あとはどうでもいい。まずはそれを早急に解明してほしい。
もしSTAP細胞があれば、将来必ず助けられる人が多くいるはず。
論文の調査なんてする暇があったら再現実験してほしい。

2014年4月7日月曜日

頭を下げる

歳取ってくると、頭を下げるという機会がだんだんと少なくなってくる。
新人の時は時々ミスしていたけど、経験を積んでくるとミスも少なくなるし、
ミスしても大抵、自分の責任の範囲でカバーできるので頭を下げることもない。

初心忘るべからず、ってわけではないけど、
週末に時間があるときは近所の神社に行って頭を下げる。
そのときは素直に頭を下げることが出来る。
結構気持ちがいいもんだ。

2014年3月29日土曜日

英語だとかっこいい

TEDでミックエベリングさんが最後につたえた言葉
if not now, then when?
if not me, then who?

日本語だと、
いつやるの、今でしょ。
俺がやらねば、誰がやる。
って感じか。
英語だとなんかかっこいい。

emacsと時々vi

emacsというエディタを使っている。
正確にはemacsのキーバインドを使用している。
eclipseでもキーはemacs、
sakura editorでもキーはemacsキーバインドにしている。
前はwindowsでもxkeymacs使っていた。
時々UNIXでemacs入ってない場合はviを使う。
時々しか使わないからコマンド忘れる。。。

なんでemacsをよく使うかというと、
いろんな環境で同じキーバインドを実現できるから。
出来る限りキー操作は統一したい。

いろんな所にemacsキーバインドは使われている。
linuxのシェルのbashはもちろんmacとか。
viはよくできているんだけどモードという考え方があって、
キーバインドを他のアプリで実現しにくいんだろうな。
実現する場合は単純にキーバインドだけではなくアプリにモードという
考え方を入れないといけなくなるから。
vi以外でviのキーバインドを実装しているものを見たことがない。
そういった理由でemacsを使っている、
いろんな環境でviキーバインドが使える様になったらviでもいいけど、
モードがあるからそんなことはおそらくないんだろうけどな。。。