2022年10月30日日曜日

親父が亡くなりましたその後 消防本部で話を聞く

 救命処置に納得がいかなかったので消防本部へ話を聞きに行くことにした。

話を聞くと、通信指令員が通報内容から呼吸ありと判断して(心停止と判断せず)気道確保と回復体位で観察を続けるとなったようだ。結果から見ると判断ミスですぐにでも心肺蘇生が必要だった。

通報者の話を聞くと、自信ありげに「呼吸をしていました」と言っていたので、それも通信指令員が間違えた要因かも。おそらくその呼吸は死戦期呼吸だったのだろう。

今回は通報者の判断ミス、通信指令員の判断ミス(死戦期呼吸を見抜けなかった)が重なってただちの心肺蘇生が取られることはなく亡くなった。倒れた状況はとても運が良かった(周りに人が大勢いる、AEDがすぐ近くにある)だけに、その後の判断ミスはとても残念だ。救えたかもしれない命が判断ミスによりなくなった。

遺族としては残念な気持ちが無くならない。

普通の失敗であれば次に気をつければ良い、ただし救命の場合は判断ミスで命を失う。次はない。

呼吸の判断は胸の上下で見る、判断に迷ったら直ちに死戦期呼吸を疑って心肺蘇生を行うようにしてほしい。

これを教訓に同じ判断ミスがなくなる事を願う。救えたかもしれない命が判断ミスによりなくなったのだから。


2022年10月29日土曜日

多分、親はあなたに感謝している

 親の突然の死、とても悲しい。

だけど、おそらく親はとても悲しんでいるあなたを見て感謝していると思う。

生前、特別なにかいい事をしたことはない、ただしそれほど迷惑の掛かるようなこともしたことはない(と思う)。それで十分かもしれない。

2022年10月26日水曜日

親父が亡くなりましたその後 こんなに情報があったんだ

 親父が亡くなってから、突然死をネットで調べてみた。情報が溢れている。こんなに情報があったんだ。胸骨圧迫とかAEDとか、いかに初動が大切かなど、いままで気づかなかった。

当たり前だけど、人は知りたい情報しか見ない。自分には関係ないと思える情報でも多少は知識として知っておいたほうがよい。

親父が亡くなりましたその後 世の中は動いている

 自分の中では時間がが止まっているようだけど、外に出ると何事もなかったかの様な何気ない日常、世の中は動いている。止まってばかりもいられない。前を向いて進もう。

2022年10月23日日曜日

親父が亡くなりましたその後 今日の日はさようなら

 家で、ボーッとしていたら「今日の日はさようなら」が頭の中に流れてきた。

いつか人は死ぬ。私は死んだ後のことは信じていない。しかしまあいつか死んだら先に逝った家族と会えるかもとでも思っとこうか。

今日の日はさようなら、また逢う日まで。

親父が亡くなりましたその後 遺品整理

 権利書など重要な書類をとりあえず探しておこうと実家へ。生前聞いていたところを探すと無事見つかった。見つけた近くに昔の親父とか自分の子供の頃の写真があった。懐かしい。若い頃の父親の写真を見ると、なんだか涙が出て来た。

2022年10月22日土曜日

親父が亡くなりましたその後 がんはやさしい病気

 がんは死病の中ではやさしい病気かもしれない。死ぬまでの時間がある。本人も家族も覚悟する時間がある。事故や突然死でいきなり死ぬよりも、同じ死ぬならがんの方が随分マシだと今回知った。

2022年10月21日金曜日

親父が亡くなりましたその後 病院は出来るだけの事はしてくれた

 救急隊員による救命措置、心臓マッサージ、AEDでは効果がないので、救命救急センターへ搬送された。その時に健康保険証がなかったので後日、精算に行った。

もらった領収書には検査項目がびっしり、4ページほど。コロナの検査からチューブの挿入など。

その領収証見たときに、救命救急センターはやれるだけの事はやってくれたんだなと思った。

ほんとうに感謝だ。

親父が亡くなりましたその後 すぐに救命処置していれば… 未練が残る

 親父が倒れたコミュニティーセンターの管理人に最後の様子を聞いた。意識不明になって救急車が来る頃(通報から5分後くらいに到着したようだ)には呼吸が止まったらしい。その後救急隊員が救命処置を取ったが時すでに遅し。管理人の人に救急車が来るまでに心臓マッサージ(今は胸骨圧迫という)などの救命処置を取ったか聞いてみたが取っていなかった。その管理人が言うには「私は何度もこういう現場を見てきました。呼吸をしていたから心臓マッサージはしませんでした。鼾のような、うめき声のような、うーとか、息はしていました。その場合、心臓マッサージやAEDはしてはいけないと思っていました。」

119番でも呼吸をしていると伝えたのだろう。変な呼吸をしているなど伝えていれば電話で救命処置の指示があったかもしれない。

おそらくその鼾のような、うめき声のような呼吸は死戦期呼吸でただちに救命処置が必要な状況だったのだろう。何人も近くに人がいる中で数メートル先にAEDがある状況だった。近くにいた人、救命処置を取らなかった人を責めるつもりはない。自分もその場にいたら救命処置が取れたのかどうかわからない。救命処置で助かるかどうかは運の要素が強いのだろう。状況から言えば親父は恵まれていた。大勢の人が近くにいる、AEDが近くにある、それでも救命処置が取られることなく助からなかった。運も含めてそれがその人の寿命だったと言ってしまえばそれまでだけど。

ちなみに呼吸をしているかどうかの判断は胸が動いているかどうかでしたほうがよいらしい。呼吸っぽく聞こえても死戦期呼吸の場合もある。

未練が残る、親父もいい歳だったし救命処置を取ってもダメだったのかもしれない。だけどその時誰かがすぐに救命処置、AEDではなくてもせめて心臓マッサージでも取っていてくれたらと思うと残念でならない。それでもダメだったのであれば諦めもつくのに。

悔しくて、悔しくて、あとの祭りだけど、ほんとうにほんとうに未練が残る。

ただし中途半端に救命された場合は、脳障害など後遺症が残って余計に苦しむこともある。その場合は本人に取って救命処置がよかったのかどうかはわからない。ただ遺族としては命だけでも助かって欲しかった。

親父が亡くなりましたその後 特賞、喜んでいいのかどうか 

 親父が倒れたコミュニティーセンターのメンバーの人にお菓子を持って行くために、菓子を買いにちょっと高級な米菓店へ。どうもセールの様。混んでいる。セール品で数がちょうどの物があったけど、名前が「福分け」って使えない。普通の菓子にして仏事用ののしをつけた。クジ引きがあって、引いたらなんと「特賞」。店員の人がみんなおめでとうございますって赤い布に包まれた高級お菓子をもらった。葬式の翌日に特賞なんて喜んでいいのかどうか。なんか苦笑い。

親父が亡くなりました

 病院からの突然の電話連絡。〇〇さんが死亡しました。病院に来てください。

はっ?入院もしてないけど?昨日話したけど?何度も名前を確認した。すぐに病院に駆けつけると親父だった。

囲碁中に倒れてそのまま亡くなった。倒れてから1時間も経たず死亡確認。虚血性心疾患いわゆる突然死。まさか自分の親がそんな形で亡くなるとは夢にも思ってなかった。コロナが怖いからと好きな旅行も我慢していた。自分が死んだら元も子もないでしょ。突然途切れた線、ほんとにあっけない。

日頃は憎たらしいなと思うこともあったけど、自宅に運ばれて死顔を見たときに真っ先に思い浮かんだ言葉は「いままでありがとうございました。」だった。

今はバタバタしていて実感ないけど、あー、これから心にぽっかりと大きな穴が開くんだろうな。その穴は時間とともに小さくはなるけど生涯なくなることはない。家族ってのはそういうもんだ。

実家とかその他あと始末も大変だろうな。遺された者の責務か。

早くも生きてる間に何故もっといろいろしておかなかったんだと後悔の念。生きてる間にもっと素直になって感謝の気持ちを伝えれば良かった。他にももっといろいろ出来たことがあったかもしれない。後悔は尽きない。これから時間をかけて受け入れていこう。

「悲しいかな、悲しいかな、また悲しいかな」空海の言葉。ほんとにそうだ。しばらくはそれしか言葉が出て来ない。落ち着いたら「ありがとうございました、ありがとうございました、本当にありがとうございました。」私はそう唱えておこう。心の負担が少しは軽くなるかもしれない。

振り返って見ると親父の人生は苦労も多い人生だった。それでも持ち前の明るさで人に当たることなく乗り越えてきたと思う。最高の人生ではなかったかもしれないが、そんなに悪い人生でもなかったかもしれない。そう思っていこう。

親父、いままでほんとうにありがとうございました。

さらば。




2022年10月16日日曜日

コロナじゃなかったら

 何してたんだろうか、多分いつもと変わらない生活をしていたと思う。

コロナで行動制限はあったし今もある。けどテレワークで別の自由を手に入れた。仕事はあまり変わらない。自分にとってはコロナはメリット、デメリット半々くらい。

旅行好きの人とか、観光客相手とか外食産業の仕事の人とかにとっては厳しかったと思う。

結局、インドア派の自分にとっては振り返って見るとあまり変わらなかったってことかな。

2022年10月11日火曜日

発射出来るってすごいのね ミサイル発射失敗

 韓国が北朝鮮に対抗してミサイル発射したら失敗したとのニュースがあった。成功して当たり前のことだと思ってたけど、ミサイル発射出来るだけでもすごい事だと知った。海に落としてなんの意味があるのかわからんかったけど、発射出来るって事をアピールするだけでも意味があるんだ。

2022年10月3日月曜日

せめてもの敵討ち 熊本県立高校3年生 自殺全員和解

 親としては、なんとか子供にしてやれることだだったんだろう。このまま泣き寝入りはしない。せめてもの敵討ち。だけど親は子供がいなくなった悲しみが一生続く。誰も幸せにならない、こんなことを繰り返してはならない。

2022年10月2日日曜日

向いてないんじゃない 姫路女学院高ソフトボール部顧問

 ソフトボール部の顧問の教諭が女子生徒に暴行で顎外れるって。アンガーマネジメントとかあるけど、怒りを制御できない人は教諭とかになるべきではない。向いてないんだろう。今回はそれ以前に犯罪だけど。スポーツ系に多いな。自分もそうやって教えられたのかもしれないが繰り返してはいけない。犯罪だから。