2014年5月29日木曜日

約束は誰でも出来る。

北朝鮮が拉致被害者の再調査を
約束したというニュースが流れていた。

約束や契約で一番大事な事は、
「期限が決められているかどうか。」
期限が明記されていない約束は意味がない。
のらりくらりと引き延ばされても、文句も言えない。
調査に関する期限を決めて結果を求める必要がある。

経済制裁だけ解除して、
まったく調査されなかったということにならない様に、
いいニュースだけど、これからが大事。

2014年5月27日火曜日

お幸せに

高円宮家の次女の典子さまが婚約したみたい。

テレビのインタビューを見た。
ちょっと失敬だが、
これは完全に、かかあ天下になるな。。。

最近はいやなニュースばかりだったから
久々にいいニュースだった。

お幸せに。

2014年5月26日月曜日

量子コンピュータ

世界が変わるかも。

実用化されれば、今話題の3Dプリンタなんて屁のカッパくらいインパクトがすごい。
(と思っている。)

量子コンピュータとは簡単に言うと、超高速に並列処理が可能なコンピュータ。

従来のコンピュータは逐次処理が基本。
いろんなアルゴリズムがあるけど、アルゴリズムというのは、
無駄を省いた上で、しらみつぶしが基本。
このしらみつぶしの部分が厄介で、いくら無駄を省いて最適化しても、
母数が大きくなると逐次処理では計算できない。
正しくは、計算できるけど場合によっては答えを出すのに何万年もかかったりする。
量子コンピュータは逐次処理じゃなくて一気に並列処理を行う。
なので時間が超早い。
主に、組み合わせの最適化と使用用途は限られるけど、
組み合わせの計算が高速にできる事による恩恵は多い。

たとえば
薬とかいろんなパターンの組み合わせの最適な答えが一瞬で出たら
新薬の開発なんかすごい進むと思う。

まだまだ先の話と思っていたけど、いきなり実用化されたみたい。
あと、数年で世界が変わるかな。そう願う。

2014年5月23日金曜日

品質を確保する

物作りの仕事をしていると一定の品質を確保しなければならない。

品質を確保するためにはどうすれば良いか?
そのためには間違っていないかチェックする機能が必要。
チェックリストなどの自己チェックもあるけど、
通常は誰か別の人が参加してチェックする、
レビューって言われることをする事が多い。

レビューはやっているのに品質が悪いってことがよくある。
それはレビューが機能していない。
改善する方法は、いろいろある。
たとえば簡単なのはレビューの参加人数を増やす、
レビューの回数を増やすかな。
あとはどれだけ費用を掛けるかだけの話。
仮に1万円落として、拾うのに10万円掛かってたら、拾わない方が得。

方法はいろいろあるけど、経験から言えるのは、方法より人が大事。
属人性を排除するために、いろんな取り組みを行っていて、
こんなこといったら元も子もないけど、やっぱり人だと思う。
ミスする人はミスするし、ミスしない人はミスしない。
ミスを見逃す人は見逃すし、ミスに気付く人は気付く。
これはもうしょうがないのかな。人の能力かも。
じゃあ、どうすればよいのか?
私なりの答えは
いい人を見つけたらなるべく離さないようにする。
これだけかな。
ミスをしない人はなかなかいない。
だからこそミスに気付いてくれる人、指摘してくれる人は貴重な存在。
そういう人をレビューアーにするとかなり品質は安定する。
それだけのことなのに、品質の良くない物はなかなかなくならないな。

2014年5月19日月曜日

勝率6割

プロ野球、今年は広島が強い。
現時点でセリーグの勝率は
一位の広島が約6割4分
二位の阪神が約5割6分
6割4分で一位、二位の阪神は6割もいってない。
意外と一位ってそれほど断トツじゃなくて、
6割くらいの勝率でいいところ行ける。

一勝九敗って本があったけど、そんなに極端じゃなくても
勝率6割だったら、そこそこどころか結構いい線いける。
勝率6割くらいだったらがんばればなんとかなりそう。
人生も勝率6割目指していってみるか。


2014年5月17日土曜日

育休3年に思う

いまどこまで進んでいるのかわからないけど
以前、育児休暇を3年にするって話があった。
3年て長いな。

男女を問わず、仕事している期間の3年てめちゃくちゃ重要。
しかも20代から30代の3年間てその中でも最重要じゃないか。
仕事できる時期を40年としたら、3年て約13分の1の期間。

技術系の仕事だったら3年も現場を離れていたら、復帰できないんじゃないかな。
事務系の仕事でも3年経ったら周りの環境とか会社の仕組みとかも
変わっている可能性が高い。
20代の時は、会社での3年先輩って結構レベル高く見えた。
あまり技術に変化がない業種だといいけど、
業種によっては3年離れたら一から覚え直しみたいなこともありそう。

昔、人材の五段活用って言葉を聞いた事がある。
たしか、以下だったと思う。
20代は材料の材
30代は才能の才
40代は財産の財
50代は済みの済
60代は罪の罪

最近では50代、60代はそんな事はないと思うが、
20代、30代が重要なのは変わりない。
40代への基礎作りの時期。
そのうちの3年間は長いな。
50代くらいの3年だったらまだ良いかもと思うんだけど。
そうはうまく行かないのが現実。

忙しい時期に大事な事は重なるもの。

もっと柔軟に、期間を延ばすだけじゃなくて
1年くらいは子育てで休むけど
それ以降は仕事は復帰するけど2年くらいは
フレックスとか、残業なしも選択可能とするとかを制度化したら良いのに。

実際、既にみんなそうやっているとは思うけど。

2014年5月13日火曜日

不経済が経済的?

今働いている業種には大きく2つの契約形態がある。
請負とシステムエンジニアリングサービス通称SES

請負の場合は、売上金額が決まっているから
利益を上げるためには費用をどれ位削ることが出来るかが鍵。
そのため可能な限り効率的に作業を進める。

一方、
技術サポートであるSESでは通常、時間で売上金額が決まる。
要は時給。利益を上げるためには作業時間を増やすしかない。
効率的に作業を行い短時間で終了すると結果として利益が上がらない場合がある。
逆に言えば、時間をかけて効率的でないことをした方が利益が上がる、
つまり不経済なことが一方では経済的な場合もある。

中世の時代、地中海で暴れ回っていた海賊を壊滅するために艦隊が組まれた。
海戦に勝利し、後もう一押しで海賊を壊滅できそうだった。
だけど、艦隊は引き返した。艦隊の隊長は傭兵だった。
傭兵は敵がいなくなると、仕事がなくなるから困るのだ。
地中海から海賊がいなくなることによる莫大な経済的繁栄よりも
目先の利益に目がくらんだ。傭兵にも生活があるから責める事は出来ない。
しかし海賊がいなくなったらどれほどの経済的繁栄があっただろう。
やはり、傭兵は傭兵なんだろうな。
ってことが「ローマ亡き後の地中海世界」って本に書いてあった。
マキャベッリが国軍の必要性を説いたのも、
傭兵だと自分たちの利益を優先してしまうから。

国軍と傭兵、言い換えると正社員と契約社員。
SESでも効率的にやればやるほど儲かるって仕組みを作らないと不経済は解決しないな。

2014年5月10日土曜日

レベルの違い

東大の野球部が73連敗らしい。

アマチュアのスポーツは勝ち負けじゃないけど
レベルがあまりにも違うとちょっとかわいそうになるな。
やってる本人たちは、あまり気にしていないだろうけど。

普通はレベルの違いを吸収するために
一部リーグとか、二部リーグとかがあって
似たようなレベルでの戦いになる。

社会に出るとレベルの違ういろいろな人と仕事をすることがある。
あまりにもレベルの違う人と仕事すると結構、疲れる。

すずめの集団に鳩がいれば浮くだろうし、
鳩の集団にカラスがいれば浮くだろうし、
カラスの集団に鷹がいれば浮くだろう。
逆もしかり。

たとえば
小学生と中学生と高校生と大学生が一緒に勉強しても効率が悪い。

それぞれのレベルで住み分けるのが良いと思う。
組織の中(会社とか)ではメンバーになるためには要求されるレベル以上が必要だから
レベルの高低はあるけどレベルは保たれているはず。
だけど、仕事では複数の会社が絡むことが多いのでなかなか難しいな。

まあ、正しく機能している組織や仕組みがあれば
長くやっていくと自然と淘汰されてレベルの違いは少なくなっていくんだけどね。

悪いことは重なるもの

韓国の旅客船の沈没事故
もし過積載じゃなかったら、
もし船員の指示が適切だったら、
もし救命ボートが開いていたら。

どれか一つでも実現していたら、大惨事は免れたんじゃないかと思う。
大惨事や大事故ってのは、たいてい一つの原因ではなくていろんな要因が
重なって起こることが多い。
通常はなにか起こってもそれを予防したり、軽減する機能がある。
たとえば飛行機とか、重要なシステムとかはなにかあっても大丈夫な様に
2系統、3系統以上用意されている。
飛行機の例だとパイロットが2名とか、
エンジンが一つでも動いてたら飛べるとか、
油圧が複数系統あるなど。

それがすべてダメになったときに大惨事や大事故が起こる。
どれだけ予防策を講じるかは費用と被害との関係になるんだけど、
今回の事故は予防策があってもそれが機能しなかった。

悪いことは重なるなあと思う。
逆に、一つおこってもどこかでカバーできたら悪いことにはならないんだけど。
普通にしてれば防げたのにな。起こるべくして起こった人災。

2014年5月8日木曜日

集団的自衛権

最近、話題になっている。
簡単に言うと日本以外の国が攻撃されているときに助けることが出来る権利。

身近な問題に置き換えると例えば
友達が横で殴られている場合、助けるかどうか。
普通は助けるだろう。
まあ、そいつからちょっかい出したのなら自業自得だけど。

それが国同士になると集団的自衛権がないと助けることが出来ない。
集団的自衛権があっても助けたくない場合は助けなくてもよい。
それくらいなら当然の権利としてあっても良いんじゃないかと思う。
出来ないのと、出来るけどやらない。ってのは天と地ほどの差がある。

人は助けてくれた人を助ける。これは人として当たり前のこと。
そうして信頼関係を築いていく。
全ての人に愛をなんてのは選挙前の政治家か宗教家くらい。
情けは人のためならず。って言うし。
横で襲われている友達とかがいて知らんぷりなんて、
信頼関係ゼロになるんじゃない?
って思う。
日本もそうならない様にしないと。
日本くらいじゃないのかな集団的自衛権がないのは。

集団的自衛権を行使するためには憲法を変える必要がある。
(と思っていたら解釈変更でもいけるみたい。。。)
怪物リヴァイアサンを暴れない様に縛るためには丈夫な鎖が必要。
国家権力を恐るべき怪物リヴァイアサンに例えたのはホッブス。
その暴走を防ぐための鎖として憲法がある。

憲法は安易に変えるべきではない。
だけど、しょせん人間が作った物なんだから必要な時は、
時代に合わせて変えていくべきだと思う。


2014年5月7日水曜日

残業代ゼロ

残業代をゼロにするって議論があるみたい。

そもそも、残業代がなぜあるのか?
それは契約時間を超過して人を使うから、その対価。

仮に残業代がかからなければ、
極論だが労働者は無限動力みたいに延々と働かされる可能性がある。
そんなことしていると業績も怪しくなってくる。
人件費が増えないから利益が増えているだけで、経営の成果もわからなくなる。
残業代っていう制度は経営者側、労働者側の妥協の産物、もしくは英知かな。

ただし、経営者からしてみると、
こいつには残業代払っても良いけど、
あいつには残業代払いたくないとかあるんだろうな。
だけど、一律残業代は払わないといけない。
仕事が遅い人間ほど給料が良いなんて逆転現象になってしまうこともある。
昔は生活残業とかあったみたいだし。

それぞれの立場があるけど、
やっぱり残業代は出した方が良いと思う。
そうしないと正しい原価が算出できないし、
利益も誰かの無償の協力(サービス残業とか)でたまたま出ただけかもしれない。
だけど、経営者側からすると仕事が遅い人には出したくないというのも心情。

じゃあ、どうすればよいかっていうと
残業代はそのままの制度にしといて、
解雇の条件をもう少し緩くすれば良いんじゃないかと思う。
いまの正社員は法律でがっつり守られているから
さぼっていて結果として残業代稼いでいても解雇できない。
だから、その場合は解雇できる様にすれば解決。
残業代も払わなくてよい。
ちゃんと働いていて、やむなく残業する人にはちゃんと残業代を払う。

これが一番いいと思うんだけど、解雇というとよけい批判が出るんだろうな。

結果が全て?

「過程は関係なくて結果が全てだ。」
ってことをテレビとかで時々聞く。
社会に出るとプロの世界だから当然だと思うが、
正しくは、「結果は過程についてくる。」だと思う。

仕事していると、
このやり方じゃあ失敗するだろうなあ、
と思うプロジェクトは案の定、全てトラブルが起こっている。
逆に
このやり方だったら問題ないだろうなあ、
と思うプロジェクトは実際に問題なく終了する、すなわち成功する。
成功するというより
「失敗する方法を選択しないから結果として問題なく終了する」
が正しいな。

マキャベッリも言っている。
「天国に行きたければ、地獄に行く道を知りなさい。」
言い換えると
「成功したければ(失敗したくなければ)、失敗する方法を知ってそれ以外の方法(失敗しない方法)を選択しなさい。」
ってこと。

結果も大事だけど、もっと大事なのは過程。
結果は過程の鏡。結果なんて勝手についてくるもの。

2014年5月2日金曜日

期待し過ぎ

ちょっと前に
教師が我が子の入学式に出席するために、
勤める学校の入学式を欠席したってニュースがあった。
そらそうかも。って思う。
教師でも人の親だし一生に一度の我が子の入学式には出席したいのは親心。
昔みたいに仕事第一じゃなくて、プライベートも尊重される世の中だし。
それに、いまどき担任が入学式にいないくらいで落ち込む殊勝な生徒もいないだろう。
そもそも、教師や学校に期待し過ぎじゃないか。
子供の将来を決めるのは教師や学校じゃなくて親。
恩師と出会って人生が変わったって人は話には聞くけど、
実際には少ないんじゃないかな。

不勉強な親ほど、教師や学校への期待度というか依存度が高いと思う。
まあ、それもわかる。自分は学がないからせめて教師や学校に期待する。
それも親心。昔はたしかに教師といえば聖職って感もあった。
だけど実際は仕事として勉強教えるだけで、
自分を犠牲にしてまで生徒を育てるって人はいない。
それは親の仕事。

ジェフリーアーチャーの「十二の意外な結末」という本の
「ア・ラ・カルト」という話に以下の会話がある。
有名なシェフとして成功した主人公とボーイとの会話。
ボーイがシェフに尋ねる。
「お父さんは引退する前はなにをなさっていたんです?銀行家、弁護士、それとも学校の先生ですか?」
「いやいや、そんなんじゃないよ。おやじは自動車にタイヤをとりつける仕事を、引退するまでずっと続けていたのさ」
「しかし、なぜそんなつまらない仕事で一生を無駄にしたんですかね?」
「それは、運が悪くてわたしのおやじみたいな父親に恵まれなかったからだよ。」

この会話がすべてを物語っていると思う。

そういえば、赤ちゃんの取り違え事件もあったな。
60年後ぐらいに発覚したやつ。
一方は大学まで進学して、他方は中学卒業で就職。
本来は、逆になるはずだった。
教師や学校なんて全く関係なく、違いは親の財力だけ。

教師や学校には期待するな。とは言わないけど、期待し過ぎないように。
一番大事なのは親。